高齢者施設で働くということ

仕事のことをメインに、日常生活でおやおや?と思ったことや、どうでもよいことなど、約1億2600人のうちの一人のつぶやき。

拷問している気持ちになる

腕の可動域に障害がないご利用者、認知機能に障害のないご利用者は、食事や水分などをご自分で召し上がる。中には摂取を拒否されるご利用者がいらっしゃる。特に、たんぱく質や水分の摂取が少ないと生命にかかわるため、声掛けをして促したり、ときには口元まで運んで促す。そのときご利用者は、ひとくち、ふたくち、召し上がっていただけるが、そこから先は強く拒否をされる。

そのご利用者の性格やその日の状態、食事内容、様々な方角から考慮し、どう援助したら召し上がっていただけるのか奮闘する。日頃のコミュニケーションも大切だ。

それでも、どうしても「食べたくないっ!」と断固拒否された場合どうするか。

それでも最低限必要量に達するまで召し上がっていただくのだ。これはもう拷問している気持ちになって辛い。ご利用者の『生命を優先する』か『意思を尊重する』かの世界に感じる。(世界て)

プロの介護は、おそらく生命を優先するのであろう。しかし、私は意思を尊重しても良いんじゃないかと思う。なぜなら、相手は高齢者だもの、“食べたくない”と体が拒否している可能性があると考えるからだ。

子どもは違う。親が頑張って摂取するよう努力しなければならない。

しかし、高齢者は意思の尊重があっても良いのでは? 施設に入所するときに、“私が食べたくないと拒否した場合、私の気持ちを優先して下さい” というような、契約が選択できたら良いと考える。(反論が上がりそうだけれど)