縞々のあいつ!
私は、蚊に刺されやすい体質だ。同じ部屋に誰かが居ても、なぜか私が刺される。刺されると数日間は痒いし、痕が残るから困る。夜中にやられると睡眠妨害だ。いつしか私は、蚊が気になる存在になった。夏においては、常に蚊のことを思っている。おかげで、蚊の飛ぶ音を真似できるようになった。かなり上手いと自負している。
そんなこんなで、蚊に神経を注ぐ私であるから、昨今のデング熱情報には敏感だ。特に、今年はシフトで働く身となったこともあり、さらに敏感になった。「デング熱で仕事を休みます」なんて言わないようにしたい、というか通じないと思われる。
この界隈だけかもしれないが、昨年は例年に比べて蚊が少なかった。だから、「もしかすると、今年は蚊が多いかも」なんて噂をしていたら、いた!
あいつが居た!
ベランダに大きな蚊、それも絵に描いたような見事な、黒と白の縞々の蚊が。あー、これを打ち込んでいるだけで、体が痒くなってくる。
蚊の話はここまでにしよう。くわばら、くわばら。
介護職と看護職の違い②
前回のつづき。
別の教員がグ〇ープホームに勤務していた頃、夜勤において介護職と看護職の違いを感じたという。
なるべく違和感がないように、尿取りパットを1枚だけにする。そして、夜間にパットを交換する。それが介護職。
尿取りパットを2枚当てる。そして、夜間にパットの交換をしない。それが看護職。
だったという話だ。前回の話と今回の話を通して、それぞれ専門職の考え方の違いがわかり、面白いなと思った。
介護職と看護職の違い①
介護の世界にのめりこみ、現在は後輩の育成に力を注いでいる教員が、ある日、介護職と看護職の違いを、自らの体験談を事例に、判り易く説明してくれた。
目の前のご利用者が「トイレに行きたい」とおっしゃっている。
さて、このとき両者の反応はどうか?
オムツが濡れるのは誰もが不快である。
よって、オムツが濡れる前にトイレに連れて行ってさしあげる。
これが介護職。
オムツをしているから濡れても大丈夫である。
よって、トイレに行く必要はない。
これが看護職。
その教員が、実際に看護師の口から聞いた言葉は、「オムツしているんだから、その中でしちゃいなさい」だったそうだ。
これは、専門学の違いといったところなのだろうか。別の話として、②へつづく。
トラウマの『とと姉ちゃん』
施設の食堂とフロアには、大きなテレビがある。基本、どちらのテレビもつけている。
ただし、食事のときは “食事を楽しむ” という目的があり、テレビを消して職員手動でBGMに切り替える。BGMが流れないときが常だが。
食事が終えると、当番によって介護職員の役割が異なり、目まぐるしい忙しさとなる。直ぐにご利用者の口腔ケアに入る職員、それを待ち受けて居室ベッドで臥床介助する職員など、フロアの空気が一変して戦場と化す。
臥床の必要がないご利用者は、フロアのテレビを鑑賞される。昼食後は、もっぱら『とと姉ちゃん』だ。その主題歌が聞こえてくると、私は大いに焦る。なぜなら、その時間帯までに、なにそれを終えていないと、その後の仕事が停滞するからだ。つまり、ご利用者にも、他の職員にも負担をかけることになる。すごいプレッシャーがのしかかる。
よって、お昼の『とと姉ちゃん』の主題歌は、私にとってトラウマの一つと言ってもよい。
価値観で怒られるときもある
私は、使えない新人職員なので、毎日何かしら怒られている。でも、そういう施設で良かったと思う。これがもしも、「あーいいよ、いいよ、気にしないで」みたいな職員がいる施設だったら、恐らく1週間で辞めていただろう。年上の新人でも、きちんと教育してくれる施設で良かった。
だが、価値観で怒られると困る。例えば、私が食事介助でお茶からスタートしたとする。すると先輩職員が「食事のスタートは味噌汁からでしょう!」みたいなね。それでもって「自分だったらどう?先にお茶を口元に運ばれたら嫌でしょう?」みたいなね。“え?私は食事の始めはお茶がいいんですけど” なんて言い返せないからさ、「で・・・ですよね(汗)」って言うしかない。
なんか、「ビールは、ヱビスじゃなくて、モルツでしょう?」って、怒られているみたいなね。
「学問の神様は、湯島天神じゃなくて、亀戸天神社でしょう?」って、怒られているみたいなね。
価値観で怒られると、“あぃやややややややや” ってなる。
施設に森のくまさん登場
自分の口の中を、誰かにいじられたくないご利用者が多い。介護職員は、口腔ケアをするために、あれやこれやと手を考える。ある日、先輩職員のYさんが、こんな技を使っていたのを見た。
ご利用者Bさんは入れ歯も、自分の歯もない。だが、唇の力は強く、むぎゅーっと力いっぱい閉じてしまう。そのBさんを前に、職員のYさんは愉快にテンポよく歌い出した。「あ~る~日~、森のな~か~、くまさ~んに~、出~会っ “た” 」の、“た” のところで、歯ブラシをスポッとBさんのお口の中へ。そして、「スタコ~ラ、サッサ、サ~のサ~、スタコ~ラ、サッサ、サ~のサ~」と歯ブラシで舌や左右の頬の残渣物を取り除いて、「はい、お・し・ま・い」ってな具合である。さすがのBさんも、「クマさ~んに~、出~会っ “た” 」の、“た” のところまでくると、油断していたのだろう。まんまと職員Yさんの手に引っ掛かったしまったと言っても良い。
私も、その手を使おうかと思ったが、なんせ自他共に認める超絶音痴である。私が歌おうものなら、森で迷子になって熊にも出会えないだろう。
他の手を考えよう。
開いた口が塞がらないとはこのことだ
中国服を着ると、
『書道で筆がスムーズに滑る』。
だれか~、たっけて~、
これが都知事だよぉ。
ボランティアを断る施設や事業所、その理由は?
同期生Mさんは介護業界へ転職するにあたり、どの施設・事業所が自分に合っているのかわからず、就職先に悩んでいた。そこで、まずはボランティアで様子を見ることにした。見学だけでは判らない部分があるため、数日間ボランティアをすることで実情を探りたいという下心からだ。私も、それは正しい選択だと思った。
ところが、ボランティアを断った所があったと言う。我われ同期生の間で、『そこは何かやましいね』という結論に達した。介護業界はどこも職員不足である。ノドから手がでるほど欲しい人手を、それもボランティアを断るなんて、やましい以外の理由が思い当たらない。
ボランティアは、将来の利用者予備軍でもある。利用者になるのは親族かもしれないし、本人かもしれない。或いは、近所の人かもしれない。いずれにせよ、評価が良ければ利用者につながる、いわば宣伝効果が期待できる存在なのだ。それを断るとは、もったいないオバケが出るって話だ。
残念ながら、そういう所もあるというのが現実なのだ。